「日々是好日」は、表面上の文字通りには「毎日毎日が素晴らしい」という意味である。そこから、毎日が良い日となるよう努めるべきだと述べているとする解釈や、さらに進んで、そもそも日々について良し悪しを考え一喜一憂することが誤りであり常に今この時が大切なのだ、あるいは、あるがままを良しとして受け入れるのだ、と述べているなどとする解釈がなされている。
Wikipedia より引用
上記のようにいくつかの解釈があるようですが、今の自分には「今この時を大切にする」という意味がとてもしっくりきています。
歳を重ねるにつれて、日々が過ぎていくスピードがとても早いという感覚に襲われます。
まったく初めての事がほぼ無くなり、既に知っている事、経験した事がある事、という風に物事を捉えている自分がいます。
時間は誰にも等しく流れているはずですが、体感として違いがでてくるのはとても興味深いですね。
音楽に置き換えると、それは一音を聴いている間の感覚と同じかもしれません。
音楽は時間芸術です。5分の曲を聴いている間、ある人にはそれはまるで1年間を過ごしたかのような濃密な体験に感じ、ある人には5分の時間そのままの感覚として体験される事もあり得ます。もしかしたら一瞬の出来事と感じた人もいるかもしれませんね。
メロディー、ハーモニー、リズムはこの世の中にある自然の美しさや厳しさ、生き物の喜怒哀楽を音という情報に変換したもの。
それをキャッチして味う事ができるかどうかは聴く側、演奏する側の感受性による所が大きいと感じてます。
一音からより多くの情報をキャッチする行為は、一瞬一瞬をよく味わって生きる行為と同じな気がしてなりません。
毎日の中で起こる出来事は、良いと思う事、悪いと思う事、もうよくわからない事、、色んな事が起こりますね。その一つ一つが自分にとって大切な情報であるはずです。
それをしっかり味わって、自分の音に反映していければと思います。